干からびた骨よ、生き返れ!

金曜日、夫が10日ぶりに帰宅、と思ったら、あっという間にまた富山に行っちゃった!  ずうっと風邪が治らなくてかわいそうです。

クリスチャン手話セミナーで要約筆記をお願いしていた方から、キャンセルの連絡をもらった。困ったなーー! お願いメールを書くのがしんどい。私の心、ほんっとに小さいなあ。

そういえば今月は、要約筆記の依頼が2件もあったけど、人材がいないので断るしかなかった。私も忙しい。情報保障のない集会には、情報保障を企画段階から考えてほしいと思うけど、今の私にはエネルギーがない。夫と分け合って食べたミカンのようにスカスカ。

夫がよく言う、こひつじじゃなくて、ろうひつじになるって。 老と聾? すでにスタッフの大半は60代以上。いずれ、高齢化のため担い手がいなくなり、活動休止になってしまうのかなあ? 

また、教会に行けない日曜日が続くと、大切なことが漏れていくような気がする。場を共有できないことが原因。礼拝メッセージは録音して音源を聞くけれど、「これ」「このように」と言われても、何のことかわからない。週報はあとでもらうけれど、同時配付物があるのか、ないのかわからない。週報掲載されなかった情報は、知ることができないし、掲載内容が訂正されることもある。礼拝後の活動は、なおさらだ。

私は「情報を知っている、知らせてもらえる」ことに満足して、帰属意識を持つのだなと感じている。今日は2つ失敗した。先週、聖歌隊の練習に出られなかったので、礼拝で賛美する楽譜を持ち帰ったが、当日の集合時間と詳細について確認しなかったので、教会に着いてから、ドレスコードがあったことを知り、自分が場違いな色を着ていることに気づき、驚いた。いつもの白いガウンを着ると思っていたんだもん。仲間たちも、連絡を忘れたことを謝ってくれたが、悲しくなった。また、大規模修繕その他機材購入のための約束献金を提出するのが月末だと、夫が知っていると思いこみ、伝えていなかったことも失敗。ひとりひとり前に出て捧げることも知らなかった。私が知らないことは夫も知らない。夫に申し訳ないと思った。それでも夫は献金のお祈りを立派にやり遂げた。夫はこんなことで動揺しないのだろうな。礼拝が終わってまだみんなが祈っているときに、夫と話し合って金額を決め、用紙に書き込んで、献金トレイに提出した。来週も礼拝に参加できないから。

食事が終わってから、夫とは蒲田でバイバイ。私は帰宅して管理組合の会議に出席、17時に退出して、案内をもらっていた友人の歌の発表会に行こうとしたのだが、スマホの電池が消え入りそうになっており、人に聞いても冷たく「知りません」と言われ、おまわりさんにも「住所もわからないんですか」と言われ、周辺を1時間近く歩き回ったが会場にたどり着けず、引き返した。あーあ(>_<)

○○しておけばよかった、が頭のなかをぐるぐる。賛美の歌もみことばも、心の奥底に引っ込んでしまい、なかなか出てこない。

エゼキエル書37章の、干からびた骨のように、いのちを失ってしまっている私の思い。主の御手が私の上にあることを思いだそう!!

主の良くしてくださったことを何ひとつ忘れるな。詩篇103

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