雨の日の黙想会

雨の日は心が落ち着く。いや、いつもそう考えているわけではない。「雨かぁ~」とガッカリすることのほうが多いのに。

まっすぐな糸のように規則正しく降る雨、濡れてツヤツヤしている木の葉、雨に傘に当たる音を聞いて、心が落ち着いていった。心が洗われるのとは違うのだ。

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日曜日に聖歌隊で練習を始めた「神のことば」という賛美には、「わたしのために約束されたこと かなえられるお方」というフレーズが出てくる。その他のことばは、聖書からの引用で、うん、うん、その通りだと思うのだけれど、私のための約束、はて? どの御言葉?神様を信じていても信じてなくても?という漠然としたイメージで、そこんとこを掘り下げてみたいと思った。

1)今、私はどんな気持ちでここに来ているだろうか。→雨のおかげで、(雨が降るのを見て、音を聞いて)心が落ち着いてきた。

2)今、どのような意味での「静まること」を最も必要としているだろうか。→がたがた騒がないで静まる

3)今、私は、どのようなお方として神を知ることを、最も必要としているだろうか。→私を待っておられる(待ちわびる)神

4)しばし、立ち止まり、ふり返る ~この3ヶ月をひとことで言うと、「おくびょうなヤドカリの引越」の時であった。

そして詩篇19篇1-4節

「天は神の栄光を語り、大空は御手のわざを告げる。

昼は昼へと話を取り次ぎ、夜は夜へと知識を伝える。

話もなく、ことばもなく、その声も聞かれないのに、

その響きは全地を覆い、そのことばは世界の果てにおよぶ。」

2節の「昼は昼へ、夜は夜へ」。信仰生活25年やっているけど、今まで何の不思議も感じなかったほうが不思議なのだが、どうして「昼は夜へ」(早番から遅番へ引き継ぎ、仕事のシフトみたい)じゃないの?という疑問とともに、今日の昼は、明日の昼に、「梅雨なんだけど太陽よろしくね!」とか、今日の夜は明日の夜に、「月の満ち欠けをよろしくね!」などと、1日の流れや季節の移り変わりを伝え、神様の創造の秩序を守り、神様のデザインを取り次いでいるのである。外れることのある天気予報よりも、ずっとずっとすごいことを無言でやってのけているのだ。朝起きたら、これから始まる1日は、神様の約束が実現したことのあらわれなんだね。無言なのに、響きが世界の果てまでおよぶってよ。

わかちあいを経て。ひとことの祈り「神様が、ここに、すでにおられます!」

 

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