オペラ「ウリッセの帰還」のお話

毎月第2水曜日は、市民自主サークルで、オペラ評論家のお話を聴く会に出かけています。去年、役員をやりましたが、新しい引き受け手がひとりしかいなかったので、2年目です。声楽を習っているので、オペラの難曲に取り組むことがありますが、歌手や劇場の善し悪しはあまり興味がなく、海外にオペラを見に行こうなど思ったこともなく、食後眠くなる時間帯にお話を聞いてメモを取っても、読み返したときに思い出せないことが多いです(^_^;)

きょうの題目は「ウリッセの帰還」。残念ながら日本では人気がないんですって。ホメロスの「オデュッセイア」というギリシャ神話を題材に17世紀に書かれたもので、ギリシャ・ローマの古典の知識は、当時、だれもが当たり前に持っていた教養だそうです。ストーリーの映像を見て、解説を聞いていると、「あ、このオペラの作者モンテヴェルディは、キリスト教の背景をもっているな」と感じました。そしたら、教会の聖歌隊の楽長をやってた人だと聞いて、当たり~!\(^_^)/ ※よくよくレジュメを読んだら、作曲家と書いてある。台本を作ったのは別の人でした。

音楽が控えめで、ことばが聞きやすい。ベルカント唱法といって、ことばが聞き取れるように歌うことです。イタリア語なので意味はよくわからないけれど、有名なオペラのように重唱(ひとつの音楽の中で違うことばを重ねて歌う)はなくて、ソロももちろんあるけれど、父と息子、夫と妻、1対1の対話(歌)がたくさん出てくるんです。

対話の中で心の変化が起きるのです。オペラでは、戦争に出かけて行った夫(ウリッセ)の帰りを10年待ちわびる妻の姿が描かれます。もう旦那は死んだと聞かされて、ずっと喪服姿で「もう死んだ夫のことなんかあきらめて結婚してよ」と言い寄る人がいるけれど、頑として受け付けない。夫は、知恵の神から、妻のもとに帰るときに、ぼろをまとった老人の姿になるよう言われるのですが、いろいろあって、いざ夫が妻の前に姿をあらわしたときに、妻は、あんなに帰りを待ちわびていたのに、信じないのです。自分の息子も、召使いも、確信を持っているのに、妻は疑いのまなざしで、「私の夫は死んだのだ、信じない、信じない」と言い続けている。どうやって信じるに至ったか。やはり対話の中でゆっくりと導かれていくんです。先生は、「寝室の話をして疑いが晴れるなんてよくわからない」とおっしゃっていましたが、夫を愛する女性ならわかるんじゃないのかな。プライベートな場所なので、他のだれも知らない、ベッドにかけられた布の刺繍の話をされて、妻は喜びに目を輝かせて歌うんですね~。で、2人はムギュと抱き合って幕が下りるのかな~と思いきやなかなかそうならない。「舌の先を解きほぐして、驚きを喜びに変えなさい」という歌詞が私には新鮮に響いたのですが、静まりと似ていて、先を急ぐせっかちな人には耐えられないかもしれない。

「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネの福音書20:27)もうすぐイースター。イエス様の復活を、見ないでは信じられなかったトマスの話を手話で見たり、ちょうど今朝、オーディオ聖書(英語聖書の朗読CD)で、エマオの途上の箇所を聞いたから、余計に印象に残ったのかな? オランダの画家、レンブラントの「放蕩息子の帰還」という絵はいつごろ描かれたのかと思って調べてみたら、1666-1668年頃で、モンテヴェルディが生きた時代よりも20年くらい後でした。

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