ガスコンロ談義

今日はJUNEさんのお宅でクリスマス女子会。初対面のsnoopyさん、なんと大学の同窓生だったのです!大先輩。manaさんもそうだから、4人中3人も! うれしいなあ。

そして私以外は、難聴者。聞こえの程度、難聴になった時期、使っている補聴システムはみんな違う。読話、口話で手話をつけてしゃべる。手話をつけてもらえると、私も意味がはっきり区別できるので助かる。(例:「空港」と「急行」の発声の区別がつきにくいことがある)話すスピードは、わりと早いけれど、わからないときにパッと「それ、どういう意味?」「今の、もう1回言ってくれる?」と聞けるし、「そんなことも知らないの?」とか言わずにやさしく丁寧に教えてくれるので、精神的に楽。自分が知っている話題だと、知っているのが常識みたいに思ってしまうな~と反省もする。

聞こえの程度といっても、音(ことば)が聞こえない=存在しないことと同じだから、想像を絶する。

例えば、お湯を沸かそうとして、ガスコンロを点けるのに、つまみを左右どっちかに回すときの話。

J/両耳補聴器のときには聞こえなかったのが、人工内耳にしたら聞こえるようになった。だけど、初めは、それが何の音なのか、わからなかったの。気づくのに時間がかかったの。

m/ええっ!音があるの?!

私/ええっ!知らなかったの?

m/(目を丸くして)どんな音?

J/チチチチ…って。ピピピピだと思っていたんだけど、違った。

m/bowyaさんにもチチチチと聞こえるの?

私/うん。うちはオール電化なので違うけど、実家ではガスコンロなので、チチチチだった。

s/私は、音は聞こえないけれど、手に振動が伝わってくるので、音があるんだなとわかるの。

J/チチチチは、火が点くまでの音なのよ。旦那さん(聴者)に、音がするか聞いてみて。

m/うん、聞いてみるー。

という具合。
他にも、パン屋がうるさくて5分いただけで頭がくらくらしたとか、手を洗うとき、手をすり合わせて音がするので驚いたとか。ことばが聞きとれるようになった喜びとともに、生活音が聞こえすぎて体に負荷がかかる辛さが同居している。聞こえなくて取り残される疎外感と、聞こえすぎる疲労感のどっちかを選ばなくてはいけないの・・・という言葉が重い。私の夫も、情報保障があろうとなかろうと、礼拝後はいつも「ああ疲れた」と言っているし、マンションのエレベーターの中で「ああ、今日も疲れたなあ」と言ってぐったりと寄りかかっている。それは、聞きたい音が聞こえないことや、あまりにも多くの音が同じ音量で体に入ってくることからくる疲れなんだろうなあ。

あと、聞き取り力アップだけでなく発声訓練も必要なのは、自分の声が聞こえていないから。吸った空気を吐きながら話すときに、声帯だけでなく、くちびるや舌、上あご、顔の筋肉、腹筋など、いろんなパーツを使う。人と話す機会がないとコミュニケーション力も発声力も落ちるので、ひとり暮らしでもなるべく外に出て人と話をするようにしているという話を聞いた(見た)。

それを聞いている(見ている)ときに思い出したのが、9月のイスラエルツアーでお世話になったガイドさんから、夫に「前回(2015年2月)お会いしたときよりも、声が聞き取りやすい」と言われたこと。なんでだろうねー、難聴者の発声に慣れたってことなのかな?と思っていたんだけど、もしかしたら、夫が胆石で入院していたとき、私が足しげく病院に通って、何時間も夫といっしょにいて、いろんな話をしたことがよかったのではないだろうか。

帰宅途中、地元のスーパーに寄って、聞こえてくる音に注意を向けてみた。うん、確かにうるさい。BGMや店内放送、レジ打ちの人の声、レジかごがぶつかる音、それらが同じ音量で耳に入ってくるとしたら、落ち着いて買い物もできなくなるだろう。そして、ひとりになったときに、女子会に来る前にあった頭痛や喉の痛みがよみがえってくるのを感じた。話に集中している間は、痛みの感覚が鈍くなっていたみたい。

難聴者として生きるって、ホントに大変な努力を重ねているんだな。私は生活の、ほんの一部に寄り添っているだけ。

ロジャーペン (ワイヤレスマイク)

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