きょうは、パソコンを持って出掛けた。要約筆記ではなく、クリスチャン手話サークルぶどうの木🍇でクイズを出題するために。
「あっ、お財布(鍵も)を忘れた」
昨日の夕方、別のバッグで買い物に出かけたままだわ。
改札口の手前で、夫の腕をつかんで引き留め、お金をもらって切符を買った。
桜井先生から、「待つことは愛すること」のメッセージ。桜井先生のお話は、いつでも、どこを切っても神様への信頼と愛だなあと思わされた。
市松模様のクッキーとヨモギのパウンドケーキは、erinberryさんのお手製。おいしかった。
そしてクイズ。イスラエルツアーで学んだことを題材にクイズを作った。5➡3問に減らしたんだけど、選択肢のある答えを作るのは難しかった。大学でいつも入試問題やテストを作っている夫を尊敬!
選択肢がなく、聖書に答えが書いていない答えを、いろいろ考えて答えてくれるのを見るとか、手話を教えてもらう経験になっていいなと思った。同じクイズを教会の手話教室でも使おうと思うので、どんなクイズだったかは、今度シェアします。
先週、父からリクエストがあり、実家へ。夫が、父、母それぞれのパソコンに年賀状印刷のプログラム更新をしてくれた。夕食後、夫がイスラエルツアーの写真を見せてくれた。そのときに、父が学生時代に30ヶ国ほど旅をしたことをぽそっと話してくれた。イスラエルに行ったことがあるとは聞いていた。当日、園の墓にドアなんかついていなかったって。30ヶ国も旅行したなんて、そんなこと、今まで1度も聞いたことがなかったよ。
父は、明日大きなイベントを控えて忙しいのに、私たちをマンションまで車で送り届けてくれた。
会話の中で、全く言い争う予定なんかなかったのに、何かが、運転している父の気に障り、父と喧嘩になった。父のことばに私の劣等感が刺激されて、心の傷が蒸し返されてしまった。顔が見えないのに、喧嘩したくなかったけれど、私と父の言っていることが、全くかみ合っていなかった。
「言葉にして言ってくれないと、私はわからない」と私は言ったけれど、言葉には限界がある。たぶん言葉を尽くしても私は理解できないだろう。自分の言葉を全く受け止めてもらえないのは、お互いに辛い。以心伝心は無理よ。
聞こえていて無言の、助手席の母。無言だけど聞こえていない夫は私の隣。オープンな密室状態。
車を降りて、車を見送ったあと、明るいところで、夫に「今、父と喧嘩していたのよ」と報告。
夫いわく「それは、やめたほうがいい。運転が荒くなるから」
今、言われても遅いよ。けど、父がひとりで帰るなら心配だけど、帰り道も、隣に母がいてくれて助かった。気まずいだろうけどね。夫は「大変だな」と言い残して先に寝てしまった。ちーん。
父に「全然気持ちが伝わってこない」と言われた。父の言葉を思い返すと、これが本音かな。父が私に関わってきたように、関わり返してほしいのだと思う。ムリ。自分の力ではできない。父の望むような娘でなくてごめんなさい。父親というものは、こんなにも娘にケアされることを期待するものなのだろうか? でも、私の父の求めているものは、天の父なる神様にしか与えることができないと思う。
今朝のメッセージをもう一度振り返ろう。何を待つのか?
第2テモテ4:8
今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。