天にいます私たちの父よ②

朝の雲場池@軽井沢


前回の投稿のタイトルが、なぜ、主の祈りの出だしなのか。

それは、4月から月2回のペースで通っている「手話聖書講座」で、自分の言葉で主の祈りを作るという宿題が出ていたから。手話セミナーの翌週が授業だったのです。

手話で語られる内容を理解した上で、手話で考えて表現する力が求められます。宿題ができなかったとしても、授業を休まないように(笑) とも言われていました。

クリスチャン手話セミナーでのクラス別の学びでも、主の祈りをしました。ひとりでではなく、みんなで、ゆっくりと心を込めて祈ることが大切だと学びました。

28日の礼拝メッセージでは、主の祈りの1節「日ごとの糧をお与えください」が引用され、「糧」とは、イエス様のことだと語られました。第4週は、週報に載せるためのメッセージ要約担当なので、ずーっと御言葉を思いめぐらしていました。

「神様。私は、ここにいます。」

私が表したいと思ったのは、神様がどんなお方かということと、神の国のイメージです。主の祈りは、神様に向けた祈りで、イエス様の十字架による罪からのあがないと、聖霊様の介入を認めているのが前提です。神様が私に表してくださった御業、例えば、愛する/養う/導く/救う/癒す/解放する…などの感謝を表したい~

と思ったのは、手話聖書講座の前日。

「天にいらっしゃるお父さん、あなたに呼びかけられることを感謝します。あなたは、私たちのためにすべてを備えてくださったお方。その御名に力のあるお方です。」

ここまでで、時間切れ。半分あきらめの状態で、堂々と授業に出席しました。桜井先生は、いつも情熱をもって講義をされるので、時間オーバーになることもしばしばあるのに、今回は20時ぴったりに講義を終えられ、「さあ、今から皆さんの言葉で、主の祈りを祈ってください」と言われました。

しかも、恐怖のビデオ撮影。ぎゃあ~(;゜∇゜)

ひとりずつ指名されて、後半に私の番が回ってきました。不思議なことに、祈り始めると、心が感動で震えてきて、書いておいた祈りの続きも出てきました。

私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください➡「私たちがいろんな問題や、付き合うのが難しい人に出会い、苦しむときもありますが、神様はすべてを恵みに変えてくださいますから感謝します。」

その場にいた8人全員終わり、桜井先生も自分の言葉で祈られました。

私の教会では、主の祈りを祈らないので、新鮮な学びでした。私が祈る内容が、神様のみこころを行うための決意の祈りになっているかどうか、点検しないといけないなと思いました。

手話聖書講座、後期も申し込みます。帰りが遅くなるけど、講義のあとの有志の交わりが楽しいです。

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