「障がい者と教会の集い」を通して考えたこと

要約筆記のお仕事プラス参加者との豊かな交流の場となっている、日本キリスト教団神奈川教区の「障がい者と教会の集い」が行われました。

こひつじクラブの例会にも参加してくださるTakeさんの熱意に応えたくて、今年は、カトリックの要約筆記サークル イサクの仲間に参加を呼び掛けました。YossyとHassyが1日ずつ来てくださり、携帯スクリーンも運んでくださり、ホントに助かりました。

「技法以前~べてるの家のつくりかた~」を読み、この人の考えること、していることは、イエス様みたいだなあ」と何度も思いました。幻聴や妄想がやってきて想像を絶するような生きづらさを抱えている人がいる。その声にただ耳を傾けるだけでは、一時的な慰めを与えるだけで、同じことを繰り返すのだけれど、その人の心の声を読み取って、希望の種を見つけて、「あなたに相談したいことがあるんだ」と声をかけて、孤立して、うずくまっている人の手を取って、「あなたの経験を必要としている仲間がいるよ。いっしょに研究しよう」と人の輪のなかに一緒に入っていく。幻聴や妄想は、彼らにとって、脅威ではなくて、大切なことに気づかせてくれる「お客さん」となっていくのです。ファシリテーターってこういう人のことだと思う。その道40年。ホントにすごい。受け止めきれないことがたくさんあったと思う、その働きをずうっと支えてきたご家族もすごいなあ~。
自分の言葉で病名をつけ、自分の助けかたを研究する「当事者研究」。それが「私の脆弱性がもたらしたものだった」というフレーズが、印象に残っています。

講演では、向谷地さんと当事者スタッフの男性とのやりとりが心に残っています。あらゆる情報を吸収しすぎて、すぐいっぱいいっぱいになってしまう彼。受け身な姿勢でいるときは、フリーズしやすい。けれど、意中の人が近くにいて、心の中が春めいているとき、自分の心が持ち上がっていくとき、前向きな気持ちになるときに、フリーズしにくくなる。講演の聞き手の年齢層が高いから『ほの字』なんて言葉を選んだのでしょうか。古風で、奥ゆかしい言葉ですよね?

「こんな仮説を立てたんだけと、どうかな?」って。仮説を立てて、実験して練習してみるというのが、べてるのやり方のようです。

私も、キャパシティが小さくて、思考がフリーズしやすいです。それを人に知られるのが怖いです。自分の心は、受ける力も押し流す力もない、死海のようだと常々思っています。そんなときは、自分を責めてしまうのだけれど、同じ状況をだれがが違う側面から見ていてくれて、言葉をかけてくれると、とても気持ちが楽になります。その人を通して、イエス様が、私の手を取って、明るい場所に連れ出してくれたと思えます。

実は、今まで、こひつじクラブで何度もいろいろな現場に行っていて、人手が足りないために、いつも同じメンバーでしたが、うまく連携してやってこれていました。それが、メンバーの高齢化により、体制が崩れてきて、せっかくの依頼をお断りするときもあるし、こひつじクラブのメンバーになっていない方に助っ人をお願いすることが増えてきました。でも、こひつじクラブとしてのルールがないのです。ひとり入力か連係入力か、表示の仕方や倫理事項、こんなときはどうすれば等の話し合いをして来ませんでした。いや、ずっと以前から、スタッフ間で話し合いをしようとしたのですが、パソコンを快く思わないサークル代表と決裂してしまい今に至ります。持ち上がりのような形で、事務局を担当していた私が代表を兼任していますが、代表の器じゃないことを日々実感しています。

イサクの活動では、一般の現場で培った知識をみんなで共有化したり、話し合ってルールを決めたり、講習会を開いたら、入力部隊は自分の持ち場を離れて新しく来た方のフォローをしたり。当たり前のことなんだろうけど、思い付かないことばかり。

話は「障がい者と教会の集い」に戻りまして、機材のセッティングのとき、Takeさんの表示用パソコンでは、文字の大きさをいつもの倍にしました。開会礼拝で歌う讃美歌や説教原稿、文語訳の主の祈り、全部前ロールにしてくれていたのに、スクリーン上にあがっていくスピードが超のろい。こんなこと初めてで原因不明。私の頭はすでにフリーズしていたら、Yossyが、視界から消えて、床に座り込んで、イサク先輩に電話でヘルプ要請している。すごい、そんなこともできるんだ!って、感心している場合ではないのだが。

自己紹介のとき、私はこひつじクラブもイサクの紹介も、通っている教会の名前さえも言うのを忘れてしまいました。緊張している初参加のYossyに表示画面の不具合状態の説明をさせてしまいました。申し訳なかったです。

私のパソコンに入っていた表示用画面設定をコピーしてIPtalkを起動させたら、スイスイ動くようになったのですが、何が原因なのかさっぱりわかりません。

台風上陸のため、プログラムが急きょ変更になりました。1日目夕方の講演だけで講師が帰り、2日目朝には全員解散という話が出てきて、「Hassyさんには来てもらわなくていい」と何度も言われました。

こういうとき、要約筆記者は来なくていい、要約筆記はなくていいと決めるのは誰なのでしょうか。聴覚障がい者の参加がなくても要約筆記をつけるという委員会の意向だったのですが。
朝食の時間も早まって、朝食後に解散と決まり、雨風吹きすさぶ中、早めに行動をおこしたHassyは、予定どおり来てくれました。研修室の機材を全部片付け、帰る準備万端と思ったら、スピーチが始まり・・・Hassyと顔を見合わせました。やっぱり私の判断ミスだったと思います。夫にもメールで伝えたら「難聴者はいないけれど、高齢者がいるんでしょ」って。最後のお祈りが終わるまで、スクリーンやパソコンは設定しておくべきだったのでしょうね。

あー失敗失敗。そう言いながら顔が晴れやかなのは、神の恵みがあふれているからです。

向谷地さんのお話で印象深かったこと。

「発見は、すべてのいいものからではなく、非常に持ちにくく辛いものから、もたらされる」

「人生でこんなに腹を立てたことがないという人との出会いによって、自分と出会うことができるようになった。聖書のことばが身にしみてくるようになった」

ほんのしばらく落ち込み⤵⤵モードでしたが、すぐ次は軽井沢です! 

広告