コラージュを通して知る自分。

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前の記事の続きです。

コラージュをつくった友人とは、KGK(キリスト者学生会)の卒業生であり、スタッフ経験者という共通点がある。としえさんは、私と同じく、長く事務局主事として働いて来られた。ひさこさんは現役で、学生と一緒に聖書を学ぶなど、若者に寄り添う働き(GA じーえー)をしておられる。去年KGK DAYという卒業生集会に参加したときに、同じ分かちあいのグループになった。それからKGK事務所でもお会いしている。

①自己紹介として
紙コップコラージュ
「書くことを楽しむ私」
(上の写真)

側面には、他人に見せている自分(だと思うもの)、底面には、本当の自分(だと思うもの)を貼ってください  と言ったものの、今の自分を表現するとなると難しい。

コラージュ製作前に、としえさんが次男くんを寝かしつけている間、ひさこさんに趣味を聞かれて「文章を書くのが好き」と答えたから、苦し紛れにこの作品になった。

2人にも指摘され、自分でも思ったけれど、スマホを手に持っているのが、人に見せている自分で、何かを書いている姿が実際の私ではないか? 貼り方を間違えたか? 実際、このブログ更新もスマホから行っている。修正はパソコンで行うから、ときどき文字の大きさがまちまちなことがある。

でも私は、スマホを主張したいんじゃない。画面をタップするのも、ペンを持って書くのと同じように思考が働いている。スマホのように、サクサクとは動かないけれど、たくさんの情報、他人に言われた言葉、本の知識など、さまざまなことをかみ砕きながら、時間をとって、整理して自分のものにしていくのが、私にとっての「書くこと」。

これって要約に通じる作業だと思う。
スマホは、情報の受発信を助けてくれる道具。

としえさんに、「何を書いているんですか?」と聞かれた。

「うーん、1週間のスケジュールかな?旅行の計画かな?
紙に書き出すのがいいんだよね。ピンクのお気に入りのペンでねー。」

わざわざ声に出したことで気づいたけれど、私は服とか小物で気分が上向きになることがない。いつも私が使っているのは、地味で安いけれど書きやすい、事務用のボールペン。

着ていた服はピンクだったな。母のお下がりだと思う。
としえさんが現役のころ、私がボランティアでKGK事務所を訪れたときの、私の口紅の色がピンクだったのを印象深く覚えているんだって。びっくりした!

②ハガキコラージュ
テーマ「KGKと私」

未熟なトマト・熟成された、まろやかなワイン・支える手。
塩、羊の餌やり、きれいな水。

先々週、富山の義母と、トマトの苗の植え替え、支柱立てをしたので、花芽の出ないうちからムンムン立ち上る青臭いトマトを感じながら貼った。トマトは虫がつきやすく、よい実をならせるには脇芽を摘むなど、とても手間がかかるらしい。田舎の場合、猿も網を引きちぎって食べ物を奪っていく。

どの世代にも収穫期がある。
あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ という御言葉があるから、若くやわらかい心で神様を知ったほうがいい。青年期~円熟期~老年期まで、KGK70年の歴史の一端に私も加えられていることに、感謝だなあ~と思う。

「2003年に辞めているのに、まだ主事みたい!」と、コメント頂いた。王道みたいな、【~だ、~である調】を感じるのだそうで。
なるほど。

「イエスさまは、私たちを、地の塩、世の光と言われたよね~」などと、のんびり思っているんだけども、いざ、口から出ると、「私たちは地の塩、世の光。」のように断定調になるのよね。
それに、けっこう頑固で、人からやんわり忠告されてもスルーしてしまい、だいぶ経ってから自分の頑なさに気づかされることが多い(^-^;

としえさんの作品は、大学3年のときに妹に誘われてKGKに出会い、戸惑いつつも、自我が削られて、仲間と働く楽しさに目が開かれていくプロセスを表現していた。笑顔で水遊びを楽しむ男の子たちが立体的になる切り方をしていた。

ひさこさんの作品からは、現役スタッフとして学生より少し先を歩いているような若さ、素直さを感じた。マリッジリングを神様の契約ととらえ、それに向かう若者、国際的な広がりや交わりを通して完成されていく器を表現していた。
長女と三女の姉妹トークには、彼女たちのお父さんも登場してきて、楽しかった。「お父さんも言ってた」って。初めて自分のことばとして表現すること、物事への方向性や態度)は、身近にいる人はとっくに気づいていて、本人が気づくのをそっと待っていたりするのね。

コラージュっておもしろいですよ。

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