意味をふさわしく表現する

クリスチャン手話サークル「ぶどうの木」に行ってきました。新年度に入り、年会費がひとり2000円(夫婦割引で3000円)に値上がりし、プログラムの進め方が少し変わりました。

聖書用語の「祭壇」をどう表現するか? だれかが、動物を切り裂く(いけにえ)/神にささげる/壇 と表したときに、ろう者のO先生が、「3つは多い、もっと簡単にして」と言われました。

この間の手話聖書講座で、手話表現で大切なことに、「意味をできる限り、ふさわしく表現すること」「直感的にわかりやすいこと」「ひとつか、ふたつの動きで表現すること」と学習しました。このことか~と納得しました。手話通訳するときには、話の流れがあるだろうから、複雑な表現をしなくてもいい。なので、いけにえ/壇でおさまったような気がします。

では、「いつくしみ深い」と「あわれみ深い」はどう違うのか? 讃美歌の「いつくしみ深き」は、涙を流しながら愛するという表現をしています。スマホで調べると、「いつくしみ」=目下の者、弱い者に心をかけ大切にすること。敬意と愛情の混じった強く前向きな感情。「あわれみ」=他人の気持ちや境遇を察し、かわいそうに思うこと。だとしたら。2つとも同じ意味・表し方でいいのだろうか? そしたら「いつくしみとあわれみに満ちた神よ」なんて、聴者のお祈りに出てきたら通訳はどうするんでしょう?? それより、日本語の持つイメージは、「ホトケっぽい」というか、聖書の言葉、ヘブル語の持つ意味とでは違うのではないかと思うので、来月までに調べてきま~すと、私は確かに言ったので、ここに記しておきます。

O先生は、手話で聖書のメッセージをしてくださいます。例えを用いたり、板書を使ったりしてくださるのですが、私は、手話のメッセージに慣れていません。手話が読み取れても、どうして、この例話に、この聖句引用なの、などと思ってしまい、ちょっとモヤモヤ。話していることがわかるのと、信仰によって受け取るのは別のことなのだな~と、つくづく思います。あっ、これは声で話されているときも同じですね。

 

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