喜んでいるから

ここ最近といっても数ヶ月のことだけど、私ときたら、気分の浮き沈みの激しさが半端ない。私は神様に愛されているから、癒し主の御手が、学校に行きたくなかった小学生の私に連れて行ってくれる。学芸会の練習で、舞台上から大きな声が出せなかったときの恥ずかしさとか、どうでもいいセリフに変えさせられてしまった悔しさとか、自分がキライとか、心の奥底に封じ込めていた思いが、どんどん出てくる。癒されたい、解放されたいのに、抵抗する思いも出てくる。霊の戦いなのかな。そんな心の状態が体にくるとキツイ。人に会いたくない。泣くしかない。

なぜ癒されたいかというと、赦して喜びに満たされたいからだ。私の母が未だに、私をいじめたAくんその他を赦していなくて、30年以上経った今でも、忘れていないというか。それに、私が今も誰かにいじめられているんじゃないかと心配しているのだ。私の理解を超えた出来事は起こり続け、祈らされるが、いじめではない。神様の愛に包まれて、喜びの涙にあふれることが、母には理解できないので、目と鼻を赤くしている私を見ると、教会でいじめられているのかと思いこんでしまうのだ。教会のイベントに母を誘うと、来てはくれるけど、かたい表情をして、肩をこわばらせて座っており、隣に座っている私もそのオーラを感じ取って緊張してしまう。集会が終わると、一気に裁きモードに突入。正しすぎて、それを聞かされる私はと~ってもイヤな気持ちになる。そんな母の血を引いている私ももちろん、自分の考えが一番正しいと思っているふしがあって、人をイヤな気持ちにさせているであろうことを認める。

父も母も元気だが、70代半ばを目前とし、あとどのくらい地上で一緒にいられるかわからない。母が(もちろん父も)、「イエスは私の主」と告白しますように!!

ランチは、行きつけのお蕎麦屋へ。全員囲める席がなくて、3~4人ずつまとまって座った。私は、オバサマたちとおしゃべりしたかったのだが、「若い人は、先生といっしょに座ってね」といつも言われてしまう。で、母と私と先生の3人。4人席で、私は先生の隣に座った。

冷やしとろろ蕎麦をすすっていたら、先生が「今も教会で歌っているの?」と聞いてきた。

「はい。そうですね、礼拝で讃美歌を歌うので、いつも歌を歌っていますけれど、聖歌隊のメンバーとして歌うのは、だいたい2ヶ月に1回ですね。イースターは毎年、日にちが変わって、今年は3月27日。けれど、私の教会では、27日は学生キャンプ中で、中学生から25歳までの若者が出払っていたんです。今度の日曜日にみんなでイースターをお祝いするんですよ~」とか言って、ぐだぐだ説明をしていた。

そしたら、先生が懐かしそうな遠い目をしながら、若い頃の話をしてくださった。芸大を出て、音楽で食べて行くようになったときに、誘われて、座間の米軍基地の中にある教会で歌っていたこと。その教会で、奥様(日本人)と出会い、25歳で結婚したこと。教会のみんなが喜んでくれて、結婚式にも来てくれたこと。M先生には、もう9年指導していただいているけれど、馴れ初め話を聞いたのは初めて。ラッキー♪

M先生「その教会で、一番大きい声出して歌っている兵隊がいてね~、そいつの音程がもう~全然」

私「あ~、音痴ですよね。私の教会にも、そういう方いますよ。でもいいんです、喜んでいるんですから。

自分の言葉にハッとした。そう言った私も、確かに喜んでいる。

母の目が大きく見開かれて、「へえ~、そうなの?」って、今までにないリアクションだった。一瞬だったけど、母の心に残るといいな。

 

 

 

 

 

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