KGK90年代+α同期会

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同窓会に行ってきました。
学生時代、教派を越えて共に語り合い、祈り合った仲間と再会。

何人かの方には、私のライフワークを話しました。

エレミヤ書18章1ー6節、20章7-9節より
『陶器師の手の中で』
元同僚のM先生が、40代前半に経験した「危機」の経験から教えられたことを分かち合ってくださいました。

私たちの世代の状況や課題を思って、「もしかしたら、青年期の課題がクリアできていないかもしれない」と言ってくださいました。

ここ数年、私の中でモヤモヤしていた思いを明確に示してくださったと感じました。一人じゃないんだと思いました。
準備委員の方々の思いを真摯に受け止めてくださったのですね。

造り変えられるとは:
①今までの生き方やこだわりが壊され、回復される。造り手が気に入る、よりよい働きのために。

陶器と違うことは、私たちは、神様とコミュニケーションできること。噛み合わないこともあるけど、苦しい気持ちを神様に言っていいのだと思う。エレミヤだって、神様が私を惑わしたと言っているのですから。

②壊されてもなお、私たちは陶器師なる主の御手の中にある存在。神様との関係を思い起こすチャンス。

イエス様を信じ、自分の人生をお捧げしたいと思った学生時代。
卒業後、すぐにKGK(キリスト者学生会)の事務局で働くようになりました。1週間の始まりは、仕事の段取りの前に、みことばの分かち合いと祈りがありました。毎月か隔月か、仕事が終わったあと、同期&同世代が事務所に集まってきて、近況を分かち合い、互いのために祈り合いました。新卒3年目くらいは続いたかな。年に数回、支える会でも祈り合ったことなどを思い出しました。
KGK退職も、要約筆記も、結婚も、神様の召しに応答して与えられました。そこには必ず、交わりと祈りがあることを、去年9月の全国卒業生会でも確認したのでした。

神様は誠実なお方です。
私たちの小さな祈りを覚えていてくださるから感謝します。

こうして、卒業生ひとりひとりは、それぞれ遣わされた場所に戻って行きました。

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