要約筆記と手話

【先日のこひつじクラブ(クリスチャン要約筆記サークル)ミーティングの脱線話】

私の入力するiPad画面を、難聴者が取り囲むようにして見ています。

Aさん(難聴者)「難聴の立場で話をしても、『手話は覚える気になるけど、要約筆記は無理』と言われる。」

夫(難聴者)「手話のほうが残らないからですよ。書くと、もろに自分が出てしまうけど、手話だとごまかせる。」

Aさん「最近テレビに字幕がつくようになって、助かっている人も多いと思うのに。」

Bさん(聴者)「手話は楽しさを感じられるけれど、書くのは大変というイメージなのかな?

ある時、ドラマの中に情報保障がつく場面があると言われたけれど、見た人によれば、

聞こえない人のそばで書いているだけだったって。本当の必要は、見ただけじゃわからない。」

夫「それに、要約筆記は映画にならないからね。映画のテーマにならない。」

Bさん「おふたりでやってください。地味~に。」

本当の必要は、見ただけじゃわからない、って私も思う。

要約筆記って、頭がよくなくちゃいけないと思われているなと感じる。

具体的に、何なの、それ。

頭がよいかはともかく、メッセージを伝えたいという気持ちがあるかどうかだ。

手話も要約筆記も、大事です。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中