プチ静まりの時

5日は夫を富山に見送り、講演会へ。そのあと、実家に泊まりに行きました。たった1泊だったので、両親はもっと泊まっていってほしいようでした。スミマセン。
今日はこれから富山に向かい、夫の実家で13日まで過ごします。

昨夜は、教会の友達が家に泊まりに来てくれました。教会ではなかなかじっくり話す時間がないので、時間をつくるしかなかったのです。夫が留守になったので、チャンス到来。家に泊まってくれるのは2回目。結婚を願っているステキなクリスチャン女性ですが、1年半前に聞いた「伴侶に願うこと」が、相手に求めすぎる印象のまま変わっていなくて、そんなパーフェクトな人、いないんじゃないか?! で、自分はどうなの? なーんて思ってしまいまして・・・

彼女の「賜物」をひとつひとつノートに書き出してもらいました。日付を書いて、人から言われた言葉や気づきを思い出してもらって・・・そこで、御言葉が思い浮かんだので「おおらかな人は肥え、人を潤す人は自分も潤される」と私は言いました。箴言11:25
彼女はぽっちゃりしていますが、「肥える」とは太るという意味ではないだろうと思ったので、英語の聖書も調べました。prosper 繁栄する という言葉でした。また、潤すという言葉は、refreshと訳されていました。おおらかな人とは、惜しまずに与える人のことです。お金、時間、生活、福音・・・友達は「へえぇ~!」と言いながら、御言葉をノートに書き込んでいました。

それを話しながら、水を汲みに来たサマリヤの女に「水を飲ませてください」と話しかけるイエス様のことを思いました。イエス様は、水の話から始めて、彼女の私生活と内面の必要にまでどんどん切り込んでいきます。彼女は主を信じ、水がめを置いたまま、町中の人に「来て、見てください。この人がキリストなのでしょうか」と呼びかけ、彼女の言葉でイエス様のもとに来る人が起こされます。イエス様は、神様なので、私たちと話す前から、私自身も気づいていない可能性を見て、それを花咲かせたいと思っておられるのです。イエス様は、ご自身を信じる人たちに、そのわざを担ってほしいと思っておられます。

興味深かったのは、私がトイレに行っている間に、友達の思考力は停止していたこと。眠かったというのもありますが、1人で自分に向き合うのは難しいことです。また、忙しいときは、そのようなことに時間を取ることが無駄のように思えてしまいます。彼女は、気づきが書かれたノートを読み返して、「これがどう収束するのか分からない」と言いましたが、無理して終わらせなくてもいいと思います。時間が経って、そのノートを読み返したときに、新たな発見があるかもしれません。私も30代の初めに、「静まり」と出会うことができて、しばしば立ち止まりつつ、振り返りつつ、一歩一歩前進してきました。彼女のノートは、昨年の5月8日(同じ日)から始まっていました。礼拝メッセージのタイトルは「御霊の賜物」でした。彼女がそのレジュメを読み上げて、私はそれを聴いていました。

友達と一緒に時間を過ごして、私の心にも喜びがあふれてきました。神様の御言葉を思い巡らすこと、分かち合うことは喜びです。神様が私たちを見ておられるように自分自身を見ることができるように、そして周りの人のことも・・・とお祈りしました。

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