みことばの反芻(はんすう)

今日のバイスタランチは、コストコのパンとサラダ2種。
毎度サラダ担当の私は、
千切りにしたにんじん・きゅうり・赤ピーマンとゆでた枝豆・カリフラワーに
家に少しだけ残っていた中華あじ(顆粒)をふりかけ、ごま油とレモン汁で
味付けをしてみました。
まだまだ暑さが続くので、さっぱりとした味は好評でした。
色彩もいいし。
やったー♪
 
作って食べるだけで2時間がすぐに過ぎます。
その間に子どもたちをあやしたり、食事させたり。
 
日曜日のメッセージの分かち合いをすることになり
今日が第1回目。
Nonちゃんが母子室でサキちゃんを遊ばせつつ必死で
メッセージを聞き取って、レジュメにおこしてくれました。
聖書を開く間も、子どもたちは容赦なく歩き回り、叫びだし
ママのひざの上でレジュメをぐしゃっと脇に寄せようとします。
大きくなったね~。
 
私たちは、イエスさまにつながって豊かに実を結ぶ。
すばらしい農夫である神さまは、そのために刈り込みをしてくださる。
それも、現在と将来の姿を視野に入れ、タイミングをみて。
むやみに刈り込んでいたのでは木は枯れてしまうから。
刈り込み、それは喜ばしいこととは思えないだろう。
願ったとおりにならないこと、忍耐を強いられること、
孤独、病気など。
 
刈り込みは悔い改めだと語られた。
 
ヨハネ15章3節では、イエスさまは
「あなたがたはわたしが話したことばによって、もうきよいのです」
といわれる。
それでも刈り込みが必要なのはどうしてなのか。
 
クリスチャンは、
イエスさまの十字架の死と復活が自分のためだと、
ただ信じることにより
永遠のいのちをいただき、神様との親しい交わりに入れられている。
でもそれは、自分だけが癒されて平安をいただくことではなくて
癒されきよめられつつ、
私たちの生き方を通して周りによい影響を与えるため、
神様のあわれみに満ちたご性質が、
私たちを通してあらわされるため。
 
神様を人生の主権者と認めるのが
悔い改めだと思う。
20代のころは、証しといいつつ自分のことばかりしゃべっていた。
神様とちゃんと向き合っていなかった。
涙もホントに悲しかったからだけど、自分のために流していた。
でも神様と顔と顔をあわせて会話するようになってから
変わってきたと思う。
なんにも痛みを感じないで
「ごめんなさい」「感謝します」ということはできない。
「神様の計画は最善です」といえる信仰を
日ごとに持たせていただきたいと思った。
 
聞いたみことばをメモするだけではなくて、
反芻して、だれかに語る(orブログに書く)のは大事!
みことばがますます自分のものになる!
やったー♪
 
 
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